作家コメント:真武さんの企画するこの展覧会の タイトルとタクラミが気に入った。北九州の踏んだことも聞いたこともない見知らぬ土地からイメージし て何かつくれと言う。ぼくにあてがわれた?町は「春の町」だ。しかし、文字どおり読んではだめなんだ そうな。アクセントが違うらしい。以来、時折、行ったことも見たこともないその“ハルノマチ”を口のな かで繰り返している。真武さんは優しくて、後からハルノマチの風景の写真をたくさん送ってくれた。道 端や古いアパートなどが写っているが、ここは三鷹だよと言われたらそうか…と疑う余地もない。なにか 特徴があるという町並みではないようだ。ああ、しかし、これは真武さんのタクラミの内だなと思った。 ぼくの気勢を敢えてはずそうと町中を用心深くだけど何気に“素通り”している。ぼくはまんまと彼女の術 中に落ちて、この日本のどこにでもありそうなハルノマチで迷子になりそうだ。 『海とベトン』。写真の 作品は、ノルマンディを撮影したものだ。フランス北西に位置しイギリス海峡に臨むその海岸線 をかつて 旅をしたことがある。第二次世界大戦末期に連合国軍がこの海岸から上陸を敢行した、いわゆる、D-DAY (1944年6月6日)史上最大の作戦の舞台になった場所だ。ぼくはそれからちょうど50年後の1994年にこの 海岸を旅した。ナチス・ドイツが連合軍を迎え撃つためにこの海岸線一帯に造った数万とも言われるトーチ カを見てみたいと思ったからだった。まるで点線で沿岸を繋ぐように造られた膨大な数のトーチカは時を経 て、最早コンクリートの塊と化して海風に晒されていたが、トーチカの銃眼は依然として海に向けられて開 いていた。ぼくは、海からトーチカを見て、そしてトーチカに入って銃眼から海を見た。当事、ぼくはドイ ツに住んでいたのだが、旅を終えてデュッセルドルフのアパートに戻りすぐにフィルムを現像した。引き伸 ばし機は35mm用しか持っていなかったので中型で撮影したこのフィルムは後で他所でプリントしようと思 っているうちにその機を逸し、その年の末に帰国した。以来ときどき思い出しては気になりながらも いたずらに日を送り17年目にしてようやくプリントにこぎつけた。自分の生きた時間をほんの少し遡った時 と場所から、光と時間は偏光と屈折、切断を繰り返していま此処に届いた風景だ。因みに題名のベトンとは ドイツ語で、コンクリートという意味だ。 『栞町』 本を本にしおるこの作品は10年くらい前からときどき 作っている。いや、この原型はもっと以前、中学生の時からだ。悪い癖で当事から同時に何冊もの本を読み 散らかすので部屋や枕元には読みかけの本に本を挟んで栞代わりにしている。イケナイと一旦は片付けるの だがまた繰り返してしまう。ならばせめてもう少し丁寧にしおってみようと作ってみたものがコレ。今回は 萩原朔太郎の“猫町”に川崎長太郎の“抹香町・路傍”をしおってみた。朔太郎の猫町はつとに知られた名作だ が、長太郎の抹香町はどれほど読まれているだろうか?抹香町は小田原にある町だ。昔の色街でもある。 作者が昼日中からブラブラあてもなくこの町を散歩してときどき悪所にも出入りして、店のコにツマラヌ 振る舞いをしてそれを悔いたりまた懲りもせず繰り返したりというはなし。町の名がつけられている小説を と思ったらすぐにこの二冊が浮かんだ。他にもないかと本屋を探したら、川上弘美の「どこから行っても遠 い町」という小説があった。面白い題名だなと思い読んでみたらとある町に住む家庭を持つ男や女が浮気を するはなしだった。川上弘美が文中でさりげなく使う“セックス ”という文字がやけに生めかしく見 えて印象に残った。そういえば、長太郎も「抹香町」のなかで主人公の男に“性欲というやつは実に困る”と 吐かせるくだりがある。悪所通いを繰り返す自分への言い訳なのだが、ぼくは、もしもこの二冊をしおった ら、二つの町に挟まれて袋小路ヌケラレマセンとほとほと身に詰まされてきっと鬱ぐ気分になるだろうと思 いそれは止した。「抹香町」には他に「ふっつ、とみうら」という短編も収められている。どちらも千葉県 にある地名で、富津、富浦と書く。富津は東京湾に面し、富浦は南房総に臨んでいる街だ。ところで、ぼく は地名や人の名前がひらがなで書かれているのを見るとはっとする。たしか、この本を買った時にも目次に この題名を見つけて、先に読み始めたのだった。そしてぼくは富津には少し思い出があるのだ。ぼくは大学 を出て絵を一度やめたことがある。絵を描くことに心底飽いてしまったからだ。やめて清々した。卒業とほ ぼ同時に父が亡くなり、年老いた母親との二人暮らしになったのだがブラブラしてるわけにもいかず、地元 の友人の紹介で小さな測量会社に入った。まだ見習い中の頃だった。富津の建設現場に行かされた現場は火力発電所だった。その広大な基礎工事の打たれたコンクリートの上に測量機を使ってこれから建 ち上げる建物の位置を出して行くのである。この作業は常に二人で行うのだ。一人は基点からレベルという 機械を覗いてもう一人の離れた相手の持つスケールにポイントを探すのだが、確認出来たらスケールを持っ ている方が墨壺から竹ベラに墨汁を含ませてアタリを付けていく。そうやって付けたアタリ同士を墨壺の糸 を弾いて結び、水平垂直の“芯”を出していくのである。この“芯”を頼りに大工が床や壁、柱や階段を作って いくのである。この一連の作業を“墨出し”と言う。その日ぼくらは朝早くからだだっ広いコンクリートの上 で墨出しに精を出していた。途中で相方が他に呼ばれ自分が戻ってくるまで一服しててくれと言われたので ぼくはそうしていた。しばらくしたら知らない大工から手招きされて、“こっちの墨を先に出してくれ”と言 われた。大工の後についていったらトランシッドが立っていた。トランシッドも測量機器なのだが操作がレ ベルに比べて少し複雑なのだ。ぼくはまだトランシッドの扱い方はおぼえていなかった。早くしてよ!と大 工に急かされてぼくは見よう見まねでトランシッドを覗いた。果たして操作が出来ず、スケールを持 って立っている大工もスケールのメモリもボンヤリとして確認できない。その代わり大工の後ろに広がる東 京湾がくっきりと見えた。そこに焦点が合っているのだ。航行するタンカーが手に取る程に間近に見えるの だ。ぼくは、どこまでも青く、細かく砕ける波頭を立てる東京湾を眺めながら、次々に大工の示すボンヤリ としたスケールのメモリにテンポよくオーケーサインを出していった。それから1週間程過ぎてからぼくは 社長に呼び出された。富津の現場で測量屋が出した墨を頼りにコンクリを打ったら大幅な狂いが出てほとん どハツらなければならなくなった。大した損害が出たがその墨は君が出したのか!?と聞かれた。ぼくは、 自分ではありませんと答えた。相方も、そこの墨はウチが出したものではないと言ってくれた。社長はそ うか、と言ったきりぼくをそれ以上問い質さなかった。大きな現場にはウチのような小さな墨出し測量が 幾つも入ってるから大方どこかの大工がしくじったんだろう、ということでウヤムヤになってぼくは何の 沙汰も無しとなった。それから一年半くらいそこで働いた。ある日青 砥のマンションの工事現場 で墨出ししていた時だった。相方が床に這いつくばって土埃を手で避けながら消えかかった墨を必死に探 している背中を見ていた時であった。ぼくは、猛烈に絵が描きたくなって矢も楯もたまらなくなったのだ。 その日の仕事が終わるや否や直ちに会社に戻って社長に退職を申し出た。たぶん、一身上の都合でとか言 ったのだと思う。そしてぼくはまた絵を描き始めた。ずいぶんはなしが作品からそれてしまった。まあ、 そんなワケで、今回は萩原朔太郎と川崎長太郎の二人の太郎の町をしおってみた。ところで真武さんが送 ってくれたハルノマチの写真のなかに“くねった道”と題された画像があった。両脇を家々に挟まれた確か にS字に曲がりくねった路地が映っていた。道の真ん中にマンホールのような円形のふたがはまっている。 そのふたの中央に図形が見える。小さな円から放射状に4本の触手のような線?が四方に波形の弧を描い て延びている。単純な形だがかえって気になる。ひらがなで地名や人の名前を読むときのような違和をお ぼえる。これは絵になるかならないか…さっきから手元の紙に何個も描いてみたりしている。ああ、ぼく はもうハルノマチで迷子になっている…!。真武さんにヤラレタ。 O JUN,2011年9月30日