予約制で開催中の「ADIEU HACHIMAN-YU part1」と、すでに終了した2つの展覧会「KUMA BRUT」「くちぶえサーカス」に以下の展評を寄せていただきました。
高橋梢:HACHIMAN-YUに寄せて
坂元美由紀:「在るもの」の記録
長尾萌佳:手術室で出会う「アール・ブリュット」
開催中の展覧会"ADIEU HACHIMAN-YU"についての知らせ
先週3/28からスタートした展覧会、"ADIEU HACHIMAN-YU"ですが、いつもと同様、金土日11:00-18:00オープン、月〜木予約にて開場とご案内しておりましたが、今週に入ってからさらに悪化する新型コロナウイルス、福岡・北九州地域の感染状況を考慮し、外出を控えるかたも多く、展覧会を全日予約制でオープンすることにいたしました。
4月14日から全面クローズといたしました。
企画展のお知らせ
ADIEU HACHIMAN-YU part1
2020.3.28 Sat.ー4.26 Su.11:00-18:00
完全予約制 (Tel; 090-7384-8169 e-mail; info@opertion-table.com)
参加アーティスト:鈴木淳 谷尾勇滋 鶴留一彦 福地英臣 松野真知 森秀信
北九州市文化振興基金奨励事業
北九州市八幡東区祇園に立地する銭湯「八万湯」は、かつて旧八幡製鐵を中心とする工場労働者やその家族たち、地域の方々の交流の場として機能していました。1994年以降、アーティスト宮川敬一、森秀信、鈴木淳がこの銭湯「八万湯」を拠点に種々のアートプロジェクトを展開、その後、新たなメンバーが加わり、「八万湯プロジェクト」という緩やかなネットワークのもとで活動してきました。このたびおよそ70年を経たその八万湯の建物の取壊しが決定し、八万湯プロジェクトは特定の場所をもたない集団として活動を続けることになりました。これまで たびたび活動をリンクしたこともあるOperation Tableにて、八万湯の建物閉幕を惜しみ、プロジェクトメンバーの有志による展覧会”ADIEU HACHIMAN-YU part1”を開催します。
会場風景
参加アーティストプロフィルは[八万湯プロジェクトホームページ]から転載しました。
鈴木 淳 Suzuki Atsushi
1962年北九州市生まれ、北九州市在住。1987年熊本大学理学部生物学科卒業。第6・7回CASKサマースクール(1997年よりCCA北九州に改編)参加。1995年より現代美術作家としての活動を開始。数秒~数分の短い映像シリーズ「だけなんなん/so what?」は400点を越える。映像、写真、インスタレーション、パフォーマンスなど、表現方法に囚われない多種多様な表現活動で我々が持つ固定観念や思考回路を揺らし、日常との関係性を再構築する行為を模索し続けている。個展、ワークショップ、海外でのグループ展、多数。
「なみかぜをたてる Make Waves」2017年 2017年に八万湯プロジェクトで開かれたグループ展「ずとち」の出品作を再現したもの。八万湯のときには白いテープだったが、今回はピンク色のテープがモーターじかけでピラピラとはためいて入口からギャラリーへのスペースに掛けられて通行するヒトを邪魔立てしている。
ケースの中は「動物交換園 Exchenge Animals」2001年、額装写真「ナコメジサポフ Nakomejisapofu」「クヌメラシカホKunumerashikaho」「ハサフソミトヒ Hasafusomihito」3点とも2020年、ケース表面に「付箋を付箋する」 2018/2020年
谷尾 勇滋 Tanio Yuji
1978年広島県尾道市生まれ、福岡市在住。2003年九州産業大学大学院芸術研究科修士課程美術専攻修了。福岡を拠点に2000年より現代美術家として写真及び写真を用いたインスタレーション作品を制作。変容や特質、記憶・時間・場所(環境)をキーワードに写真が内包する問題や存在する関係性について試みている。再開発など地域の特色が失われ混沌と変貌していく街に埋もれた生家や風景を起因に、都市や地域の土地の歴史や文脈について探究し作品へ反映している。主な活動に2000.現代日本美術展(東京)、さっぽろ国際現代版画ビエンナーレ、2001.神奈川国際版画トリエンナーレ、2009.別府混浴温泉世界国内展(大分)、広島アートプロジェクト2010、まちなかアートギャラリー福岡2013、2014.糸島国際芸術祭糸島芸農(福岡)、かがわ山なみ芸術祭2016 (香川)、 山口盆地考2018(山口)、 ART FAIR ASIA FUKUOKA AWARDS 2019(福岡) 他、個展・グループ展・コンペティションなど発表多数。
左図:"trace of hachiman-yu Ⅰ"
ドラフティングレーザープリント、トレーシングペーパー 2020年
h840mm × w3230mm 中図:(左)"trace of hachiman-yu Ⅲ "
ドラフティングレーザープリント、トレーシングペーパー 2020年
h594mm × w420mm
(右)"trace of hachiman-yu Ⅳ"
インクジェットプリント、紙
h257mm × h182mm
"trace of hachiman-yu" は自ら撮影した八万湯建物や内部の写真をトレースしたドローイングを元に、さらに画像処理を加えトレーシングペーパーにプリントした作品。時間帯により窓からの採光や夜間のギャラリー照明を受けて、見えてくるものが変化します。 "trace of hachiman-yu III, IV" 八万湯室内から中庭を撮したショットと、八万湯の洗い場にあったパネルを元にしたドローイング。
鶴留 一彦 Kaz Tsurudome
福岡県に生まれる。現在北九州市在住。ミュージシャン、デザイナー、研究員を経て、2001年単身渡米。アメリカを拠点に写真家として活動に入る。6年に渡りアメリカのミュージックシーンを撮り続ける。アメリカはもちろん、フランス、ドイツの音楽誌、広告写真等にてその活動は知られる。2007年に福岡、北九州に拠点を移し制作活動に入る。また映像ディレクターとしてPVやMVの制作に活動の場を広げる。
"Anxiety" 2020年 インクジェットプリント A4 6点組
"Monochromes" 2009年 インクジェットプリント A4 2点組
"Anxiety" インクジェットプリント 2020年
2001年に渡米、7年間の米国滞在中、NYを訪れた時撮影した街の写真から、人気のない写真。多くはjazzが聞こえてきそうな街の喧騒が撮られたものだが、その中から、COVID19騒動で人や車がすっかり減った現在のNYを想像させるものが選ばれている。たしかにearthcam. LIVEで見る現在のNYの街角のようだ。
福地 英臣 Fukuchi Hideomi
1973年佐賀で生まれる。1996年福岡教育大学総合芸術文化学科課程卒業、2002年現代美術センターCCAリサーチプログラム修了を経て、倉敷現代アートビエンナーレ(倉敷美術館ほか/岡山県)、Bunkamura Art Show 2005人工楽園(Bunkamura Gallery/東京)、2007年Art Basel Volta show (バーゼル/スイス)などの企画に参加。共著としてWarriors of Art: A Guide to Contemporary Japanese Artists(日本)と、Dr Fabriano Fabbri (イタリア在住)の著書(タイトル未定)の制作協力などがある。オタク文化のイコンである美少女キャラクターと、マンガ等のコンテンツメディアが内包する表現論に対する言及を深め、また、それらを体現させるビジュアルを模索する。他にも福岡の作家松本了一との「新大名美術館プロジェクト(仮)」など、国内の美術史の在り方を問うトークなども精力的に企画する。
「!!だうょじんこ、とくょりど、がれそ」
h500mm×w1,100mm
「ぜかまし、ア号」(下から煽りの構図の作品)
「ぜかまし、イ号」(顔がアップの作品)
「自身が敬愛する未来派やデュシャンの初期絵画作品の意図を勝手に踏まえ、再現した作品。石ノ森先生が60年代以降に実践する速度を再現するような時間の表現や、日本が培った伝統的なセル画によるアニメーションの動画の効果と、未来派が実践した実験との接点を模索した」(福地による自身の作品コメント)
松野 真知 Matsuno Masatomo
1983年福岡県北九州市生まれ、うきは市在住。2010年名古屋芸術大学美術学部絵画学科卒業。主な活動に、2012年「とらんしっと:世界通り抜け」Operation Table(福岡)、2012年「LIGHT OF DAY」千草ホテル中庭アートプロジェクト(福岡)、2013年「Fragment」F/N3 Art Lab 1階(山口)、2013年 YCAM10anniversary「Eco Art Village Project 2013」N3 Art Lab(山口)、2014年「"直観"のジオラマ~九州沖縄アーティストファイル断章」福岡市美術館(福岡)等がある。
左図の右は2016年に八万湯プロジェクトで行った個展「いくつもの環の中で」会場インスタレーション「牛の卵を象ってみる」の写真。中「干し草」2010年、左「無題」2010年
森 秀信 Mori Hidenobu
1966年長崎市生まれ/北九州市在住。1991年武蔵野美術大学大学院造形研究科修了。現代美術センター CCA北九州リサーチプログラム修了。主に写真、映像を用いたインスタレーション作品を制作。マリーナ・アブラモヴィッチのパフォーマンスに影響を受け、映像評論家のスラヴォイ・ジジェクの「イメージスクリーン」に興味を持ちはじめたことにより、ビデオインスタレーションの制作をはじめた。表象の象徴性がもたらす様々な意味を探る事を作品制作のプロセスにしている。田川市美術館、福岡県立美術館、北九州市立美術館他、北九州、福岡、東京で主に発表。また同時に複数のアートプロジェクトも企画している。
(左) "gion kankou" DVD 30sec. 2020年 八万湯の建物近くの祇園商店街にて八万湯プロジェクトの展覧会を開催した際に「祇園観光」という架空の旅行社を仕立てて商店街空き店舗のシャッターに貼ったポスター写真をもとにした映像作品。
(中) "yahata memorial 2015" DVD 10min. 2015年 いまは閉鎖された村野藤吾設計の八幡市民会館ホール、舞台から客席を撮影したものと、逆に客席から舞台を俯瞰した写真を元にした映像作品。
高橋 梢(NPO法人九州コミュニティ研究所)
現在、Operation Tableで開催されている「ADIEU HACHIMAN-YU part1」に寄せて、遡ること2009年5月、再起動した八万湯プロジェクトのメンバーだった一人として、取り壊しが決まった八万湯とそこを拠点にした活動について思うことを徒然と書かせていただくことになった。
八万湯を知らない方、行ったことがない方に説明しておくと、この国の近代化を支えてきた日本製鉄(旧八幡製鐵)のお膝元であった北九州市八幡東区、祇園町商店街の少し外れにひっそりと佇んでいる、元銭湯の建物のことである。「八万湯」と検索し、今すぐ写真を見てほしい。濃紺の細長いタイルや波打つ曲線状の屋根の形状に特徴があり、モダンで美しい外観を持つ建物である。村野藤吾事務所による建築だと言われている。(註) 村野藤吾は日本を代表する建築家で、他にもこの街の中心地に八幡市民会館や八幡図書館、福岡ひびき信用金庫本店などの建築を残している。
たまたま見つけたというこの元銭湯「八万湯」を拠点に1994年より活動を開始したのが、アーティストの宮川敬一、森秀信らであった。様々なアートイベントや、アトリエとして使用する期間があり、後の2009年、新たに加わったメンバーには、アーティストの他に、キュレーターも加わり、7名程度で運営することになるのだが、当時私はアートNPOの事務局として、その緩いネットワークの中で、社会の中の八万湯プロジェクトや自分の役割を模索しながら様々な機会に巡り合うことになった。
アートの現場から少し離れ、宮崎での子育てに専念してから6年。物事を思い出すにも時間がかかる。そんな浦島太郎状態の現在の私でもすぐに思い出された、特に印象に残っていることが、八万湯の“銭湯”という特質的な空間を使ったインスタレーションの展覧会であった。
その空間では、インスタレーションを得意とする作家の作品だけでなく、平面、パフォーマンス、サウンドインスタレーション等、様々な作品を体感することができた。言葉ではうまく伝えられないが、八万湯の入り口から入って見渡す360°の視界から入る情報と耳から入ってくる情報は、多すぎていきなり処理しきれない(わかるだろうか)。しばらくその場にいると、その季節の気温や天気、日差し、一緒にいる人、そのすべてが今ここに一同に介している幸せを、噛みしめる時間が訪れるのだ。想像する。この作品を展示する作家は、一部残された浴槽や中庭の窓から降り注ぐ光、個性のあるタイルや看板、鏡、蛇口、脱衣所の扉に、入り口に残る番台…という個性的な空間と格闘したに違いない。しかし、それを経て生まれた彼らの作品を目撃できた喜びや静かな興奮は、会期中に来ていただけた方々とおそらく共有できていたように思う。
そういえば、八万湯のメンバーは“緩やかなネットワーク”で活動していた。この場所を使うルールが緩く設定されていて、共有し合うが強制参加ではなかった。メンバーそれぞれが、ギャラリースペースを運営していたり、教員をしていたり、家業があったりなど、それぞれの仕事や事情をよく知っていた。メーリングリストでのやりとりでは、次にやる企画の内容、やるので来てくださいという告知になるものもあれば、メンバーにも参加してもらいたいという企画もあった。なかなかすべての企画に参加はできなかったが、初個展を行った作家の展覧会があったし、美大生や若手の作家のグループ展が企画されたりもして、はじめましての出会いの宝庫であった。
また、八万湯にはアーティストや作品の他にも出会いがあった。
八幡のまちづくりのイベントと絡ませた街歩き企画が私のイチオシだ。アーティスト独自の視点や情報を織り交ぜながらの面白トーク付、という癖強めなものであったが、個人的にアーティストと散歩しながらウンチクが聞けて、自分の生活圏でも見方が変わり、とても楽しませてもらった。イチオシだった、と過去形ではないのは、たぶんおそらく、八万湯がなくなってもメンバーの誰かがまた企画してくれると思うからだ。
それから数多くのトークセッションも企画された。アーティスト、キュレーター、漫画家、エデュケーター、研究者、建築家、教育者、学生、おやじの会…近所の方々と八万湯について、街について、アートについて、教育について、食べていくということについて、議論を交わし、お酒を交わした。
九州内のアートネットワーク会議を、八万湯プロジェクトで企画した際には、プロジェクトメンバーのギャラリースペースの他、祇園町商店街の各商店の中に展示させていただき、店主が作品について説明してくれるという一コマも忘れられない。そして祇園町の美味しいご飯やお酒にもお世話になった。
八万湯は銭湯であった昔も、銭湯でなくなってからも、最後まで人と人が混じり合う場所として存在していた。
八万湯プロジェクトメンバーは、八万湯での展覧会、もしくはプロジェクトをするためにメーリングリストや現場でのミーティングを幾度となく行ってきた。時には誰かが作品制作の場として使ったり、牡蠣鍋をしようと集まったり、そして呼びかけても個別の活動が忙しく集まらないときもあった。あそこにあった彫刻台はどこかに貸したっけ?とか、今月の家賃払ってない人は払ってね〜とか、様々な連絡が飛び交ったメーリングリストだった。その後、メンバーはさらに入れ替わることになるのだが、その緩いやり取りをする中で、誰がこの建物の賃貸契約の終わりを予測したであろうか。
1961年に建てられたと聞いているので、約60年もの間街の人達の交流を支えたのか。銭湯で体の疲れを取った人、アートで心をリフレッシュさせた人はこの60年でどれだけいただろう、と今一人感慨にふけっている。
このテキストを書いている2020年4月。新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、Operation Tableのある福岡県は緊急事態宣言が発令されている。本当なら、桜の舞い散る、だれもが心揺らぐこの季節には、アートという処方が必要な時期であるのに。そしてアーティストとの時間が、私達には必要であるのに。
「ADIEU HACHIMAN-YU part1」は観に行くことが叶わなかったがpart2の時期にはぜひ八幡に訪れ、街を歩き、これを読んでくれている皆さんとお酒を交わしたい。それまでに新型コロナウイルスが収束することを祈っている。
(註)八万湯の建物は、1960年代に立てられた銭湯としては斬新な外観デザイン、意匠であったことから、福岡の建築研究者の間にも関心が拡がり、1950年代後半から70年代にかけ八幡東区に代表的な建築物を残した村野藤吾の作品ではないかと類推する説があった。しかし図面などの確証がなく、真実が判明されることなく解体に到った。(八万湯プロジェクト談)
筆者紹介: 2001年〜2005年CASK(コンテンポラリー・アート・ソサエティ北九州)事務局、2005年からAIK(NPO法人アートインスティテュート北九州)事務局、2005年から2009年までAIKが指定管理者となった旧百三十銀行ギャラリーの運営に携わる。その後、2009年から2014年まで八万湯プロジェクトのメンバーとなりアートマネージメントを担当した。2014年、家族の転勤で北九州を離れ、現在、宮崎市在住。