小勝禮子さん(美術史・美術批評)から、「もしも、ベラミで 岡田裕子 三田村光土里 女ふたり藝術ショータイム」に展評を寄せていただきました。
もしも、ベラミで 岡田裕子・三田村光土里 女ふたり藝術ショータイム
会期:2022年3月4日(金)~3月27日(日)
会場:ベラミ山荘 北九州市若松区修多羅 高塔山公園野外音楽堂下
Operation Table 北九州市八幡東区東鉄町8-18
金土日 ベラミ山荘 11:00〜16:00
Operation Table 13:00〜19:00
月〜木は前日までに電話 or メールで要予約。
Tel;090-7384-8169 email; info@operation-table.com
1960〜70年代初頭まで筑豊で産出された石炭の積出港として盛時を誇った若松、ベラミ山荘はその街にあったキャバレーのもと従業員寮でした。現在はフリーマーケットや音楽ライブなどのイベントが開かれ映画史資料室や映像制作会社が入居するシェアハウスになっています。そのベラミ山荘で岡田裕子と三田村光土里がキャバレー従業員に扮し、そこで繰り広げられていたかもしれない昭和時代の女性の日常をドラマティックに演じる作品を展示、またベラミ山荘を舞台として制作したサスペンス+コメディ+ラプソディ風映像作品を公開します。一方Operation Tableは往時のキャバレーを再現する懐古的空間となり、藝術ショータイムが2会場にまたがり催される展覧会、ぜひ両会場をお訪ねください。
〈関連イベント〉
3月4日から13日まで、岡田裕子と三田村光土里がOperation Table/QMACに滞在、週末ごとににショータイムなどイベントを開催。
昭和歌謡の唄ライブや踊りのワークショップなど、イベントの内容は多彩、かつ観客参加もあり。
ベラミ山荘でのイベントは昼下がりまで、そして夕暮からOperation Tableがショータイムの会場です。
〈各会場で関連イベントあり〉
3月4日(金)・5日(土)・6日(日)・11日(金)・13日(日)
14:00~15:00
「女ふたりの藝術ショータイム」歌やDISDANCEなど(ベラミ山荘にて)
17:00〜19:00
「BAR bis.ベラミ」ドリンクとショータイムあり(Operation Tableにて)
※3月5日は松蔭浩之(アーティスト)の友情出演あり〼
3月12日(土)
14:00〜 15:00白川昌生(アーティスト)トーク
「若松・戸畑ー街の記憶からアートに」
15:00〜藝術ショータイム(ベラミ山荘にて)
3月19日(土)(ベラミ山荘)
14時 時川座が開く歌声喫茶
時川座はベラミ山荘に映画史資料室を構える時川さん主宰。時川さんは三田村光土里"CRY ME A RIVER"に出演(バーテンダー役)、また岡田裕子"Shall we SOCIAL DANCE?"のピアノ伴奏も務めている。
3月26日(土)(ベラミ山荘)
14時 時川座が開く歌声喫茶
3月27日(日)(ベラミ山荘)
14:00 トークイベント
「若松が賑わった頃」山福緑+山福朱実
15:00 「昭和歌謡LIVE」
歌:山福朱実、ギター演奏:末森樹
最終日は、ベラミ山荘でのイベントのため、Operation Table会場は17時に閉場します。
3/21祝日は両会場とも通常通りオープンしています。
こちらの facebook もご覧ください。
助成:北九州市文化振興基金、福岡文化財団
〈ベラミ山荘交通案内〉
*JR戸畑駅からタクシー2,500円前後
*JR若松駅からタクシー1,000円以内
*若戸渡船戸畑渡場(JR戸畑駅より徒歩10分)ー若松渡場 3分 100円
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/san-kei/file_0037.html
若松渡場からタクシー1,000円以内
*車で来場の方;高塔山公園駐車場に駐車、野外音楽堂の下へ徒歩5分
三田村光土里
映像作品 ”CRY ME A RIVER”
一昨年前のクリスマス・イブ、酒に酔って額(ひたい)を地面に打ちつけケガを負いました。毎朝の目覚めに赤く腫れた傷跡を見ては、何か人生が一変してしまった気がして深い後悔が心に刻まれるようでした。街ゆく女性たちの無傷の額がみな輝いて見えましたが、誰しも表からは知れない傷を心に抱えているものでしょう。誰かの哀しみの涙がダイヤモンドのように輝くように、名曲”Cry Me A River”の歌にのせてベラミ山荘で小さなファンタジーを演じてみました。
岡田裕子
“トランスフォーム”ーかつてベラミの女性たちの束の間の日常を想像し想いを馳せる絵画的インスタレーション。“Shall we social DISDANCE?”ーパンデミックが起こり、蔓延防止対策として社交ダンスが禁止された時代。ひとり孤独に踊るソーシャルディスダンスパーティがベラミで行われていた。これら体験型新作を披露します。ぜひコロナで着れなくなったパーティー服でダンスにご参加を。また、2000年にNYで行われた秘蔵のパフォーマンス映像“Performance at 42nd street in NY“も日本初公開します。
★写真クレジット
(地下鉄通路で歌っているもの)
“Performance at 42nd street in NY“ ©️Hiroko Okada 2000
(ベラミで撮影したダンスの作品)
“Shall we social DISDANCE ?” ©️Hiroko Okada 2022
(チラシ表面で使っているもの)
“トランスフォーム:ベラミ寮の女性たち”2022年 ︎©️Hiroko Okada 2022
(三田村作品)
”CRY ME A RIVER” ©️Midori Mitamura 2022
女性が女性の労働(キャバレー)を描くとき―もしも、ベラミで…@ベラミ山荘
小勝禮子(美術史・美術批評)
北九州市八幡東区で2011年よりOperation Tableという元動物病院の空間で現代アート・ギャラリーを主宰する真武真喜子が、同市若松区にあるキャバレーの元従業員寮であったベラミ山荘のたたずまいに惚れ込んで、1960〜70年代初頭まで筑豊で産出された石炭の積出港だった若松の繁栄を背景に、「そこで繰り広げられていたかもしれない昭和時代の女性の日常をドラマティックに演じる作品」を、岡田裕子、三田村光土里の2人のアーティストに依頼して生まれたのが、本展「もしも、ベラミで 岡田裕子・三田村光土里 女ふたり藝術ショータイム」という、この場所、この作家、そして観客たちがなくては成立し得ない、稀有の夢空間・夢時間のショータイムであった。
その細部について触れる前に、今回の設定をふりかえってみよう。真武が構想したのは、日本の高度成長期真っ盛りの地方都市で、人気を集めたキャバレーで働いていた女性たちの姿を、彼女たちの気配や記憶が残るベラミ山荘という寮の空間に、現代の女性アーティストを媒介として蘇らせたいということではなかったか。
それでは、これまで日本の女性アーティストは女性の労働をどのように描いてきたのだろうか。真武からわたしが依頼されたのは、まずこのテーマで書くことだった。しかし女性の労働に興味を持って描く女性アーティストは、管見の限りそれほど多くはない。
戦前の1930年代に労働者の家族を描いた大沼かねよ(1905-1939)は結核で早逝し、日本プロレタリア美術家同盟に参加して活動し、女工や農婦たちのたくましい姿を絵画や機関誌の挿絵に描いた新井光子(1908-1988)は、官憲の弾圧により絵筆を折ってアメリカに渡った。太平洋戦争中には、徴兵によって男性の労働力が失われたこともあり、長谷川春子(1895-1967)をリーダーに女流美術家奉公隊に集まった女性画家たちにより、《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(2点現存、1944年)という大画面の共同制作がなされ、工場や農村、漁村で働く女性たちの姿が誇りをもって描かれた。普段は風景画や静物画を描いていた吉田ふじを(1888-1987)も、戦時中には工場で働く女性たちを描いている。そういう絵しか描けない時代であったとも言えよう。
戦後になると、GHQの指令の下、男女共学、男女平等の制度改革がなされ、女性画家も戦前よりは自由に学び、発表することができるようになったが、その中で共産党に入党した赤松俊子(丸木俊)(1912-2000)やいわさきちひろ(1918-1974)が、1940年代末~50年頃に働く女性の姿を挿絵や紙芝居に描いた。のちに舞台美術家となる朝倉摂(1922-2014)も戦時中からサツマイモを収穫する女性たち(《歓び》1943年)や薪を背負った女性たち(《雪の径》1944年)を描いていたが、戦後の1950年代には佐藤忠良や中谷泰ら男性画家とともに炭坑や漁村の労働者に取材して、当時流行したキュビスム風の様式で、《働らく人》(1952年、第3回上村松園賞受賞)や、栃木県の石切り場、大谷で働く女人夫の絵《背負う人々》(1954年)などを描いた。
以上は、厳しい肉体労働に従事する女性たちの姿を、その労働に対する共感をもって描いた例だが、べラミ山荘の女性の労働は、そういう種類のものではない。ここでもうひとつ歓楽街で働く女性という、別のモティーフの系譜についても振り返っておこう。男性画家による芸者や舞妓など歓楽の対象である女性の絵は枚挙にいとまがないが、女性のアーティストは歓楽街やそこで働く女性を描いてきたのだろうか。戦前でも、日本画家、谷口富美枝(1910-2001)が《粧ふ人々》(1935年)で、ダンスホールの出番を前にした女性たちが身支度する姿を、横長の屏風仕立ての画面に描いている[i]。もう少し丁寧に探せば他にも例は見つかるだろうが、あまり多くはないだろう。
これも管見の限りだが、注目されるのは戦後の女性写真家たちである。常盤とよ子(1928-2019)が赤線の女性たちの日常を撮った写真を含めて、個展「働く女性」(1956年、小西六ギャラリー)を開催して注目された。常盤はその後も一貫して社会の底辺で働く女性たちをテーマにしている[ii]。沖縄の石川真生(1953-)も1975年から自身が黒人兵専用バーで働きながら、同じ20代の若い女性として同僚の女性たちの日常を撮り、写真集《アカバナー》(1975-77)を発表。続いて1977-91年までの14年間、沖縄芝居の俳優たちを追いかけて、『沖縄芝居-仲田幸子一行物語』(1991年)を出版。さらに沖縄で働くフィリピンから来た女性ダンサーたちの日常と帰郷を撮った《フィリピン人ダンサー》(1988-89)も発表している[iii]。
バーで働く女性そのものを被写体としてはいないが、石内都(1947-)の初期3部作、《絶唱、横須賀ストーリー》(1976-77)、《APARTMENT》(1977-78)、《連夜の街》(1978-80)は、若い女性であった石内が立ち入ってはいけない場所と言われた横須賀の街や元・赤線地帯の遊郭であった建物の廃墟を撮りながら、濃密で熱い「場」の記憶を、荒い肌理のモノクロ画面に漲らせて圧巻である[iv]。
さてそれでは、今回の「もしも、ベラミで 岡田裕子・三田村光土里 女ふたり藝術ショータイム」の2人のアーティストの作品はどうだろうか。
三田村光土里の《CRY ME A RIVER》(2022)は、三田村自身が主演・監督も兼ねる映像ファンタジー。1955年にジュリー・ロンドンが歌って大ヒットしたスタンダード・ナンバー「CRY ME A RIVER」に乗せて、バーで一人飲む女性がワインを飲み過ぎて帰り際に庭で転倒し、額に傷を負うというショート・ストーリーだが、締めには彼女自身が歌手としてライトを浴びてこの歌を歌っており、彼女の額の傷はダイアモンドを散りばめたように光り輝く。これは昨年の三田村の実体験から構想されたそうだが、その心身の「傷」がかくもノスタルジックで陰影に富んだイメージの映像作品に変貌したことに驚嘆する。女性ははじめ客に見えるが、最後には歌手として歌い上げる。その役割の転換がシュールな雰囲気を醸し出す。ベラミ山荘に入居する映像制作チーム Hoshisora Film や、Cinema Book & Music 時川座を構える時川秀希氏(バーテンダーとして出演)などの絶妙な協力を得て完成したという。ベラミ山荘の一角に、大きいスクリーンでの映像上映と、使用した衣装や小道具、一角獣のタピスリによるインスタレーションも設られ、女性歌手の豪華な楽屋のようでもある。
岡田裕子のメインの映像作品《Shall we SOCIAL DISDANCE?》(2022)は、「パンデミックが起こり、蔓延防止対策として社交ダンスが禁止された時代。ひとり孤独に踊るソーシャルディスダンスパーティがベラミで行われていた。」という設定の下、映像制作に参加した男女がベラミ山荘の庭で各自ひとりで踊ったダンスを撮影したものを岡田がコンピューターで合成し、あたかも時空を超えてペアで踊っているかに見える場面も創り出す。ピアノ演奏は多芸多才な時川氏。合成するために人物の身体を半透明にしているため、まるでこのベラミ山荘でかつて暮らした昭和の亡霊たちが蘇り、ダンスに興じているかのようにも見えるのは、作者の意図したことか。コロナ禍の接触禁止Social distanceをSocial danseに絡めた、岡田らしいウィットに富んだ参加型アートであった。
その他、この企画の立役者、岡田、三田村、真武の3人の女性をモデルにした顔嵌めボード、《トランスフォーム:ベラミ寮の女性たち》(2022)を作成して室内に置き、2000年にNYで行われた日本未公開のパフォーマンス映像《Performance at 42nd street in NY》も上映された。前者はベラミ寮の女性たちのくつろぐ姿を現代に呼び寄せるものでもあり、後者は当時20代の岡田が、ニューヨークの雑踏で一人立ち、戦後最初のヒット曲「リンゴの唄」(1946年)を熱唱するもので、三田村の作品と同じく、作家自身がアジア系女性芸人(歌手)を演じている。
それは、石川真生が黒人兵の写真を撮るためにバーで働き、次第に黒人兵より同僚の女給たちの方に被写体として惹かれ、自分と同じ若さと危うさと欲望にまみれた女性たちの熱量を写し取ったのと似てはいるが、石川がリアルであったのに対し、岡田、三田村はあくまで虚構である。2022年という、いまだコロナ感染症が封じ込められていない上に、ロシアによるウクライナ侵攻・戦争が現実に起こり、日本では東日本大震災後のいまだに大きな地震が続く世界、さまざまな情報がネット上に交錯する中で、何がリアルか虚構かというのは誰にもわからない、判断が難しいことだとも言えよう。
その中であえて虚構に遊びつつ、昭和のキャバレーの女性たちの生を、21世紀の今、想像してみるのは、また新しい、女性表現者による女性を描いたアートのかたちと言えよう。そこから浮かび上がってくるものは何か、まさにベラミ山荘とQMACの「藝術ショータイム」の現場に居合わせた観客たちひとりひとりが、自ら考え、受け取っていくものなのだろう。
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[i]『科研報告書 特集:谷口富美枝研究-論文・資料集』発行人:北原恵、大阪大学文学部日本学研究 北原研究室、2018年参照。
[ii]「Everyday Life: わたしは生まれなおしている」展に出品。編集・執筆:大内曜、東京都美術館、2021年。
[iii]「石川真生展:醜くも美しい人の一生、私は人間が好きだ。」図録・写真集、沖縄県立博物館・美術館、発行:T&M Projects、2021年参照。
[iv]「石内都 肌理と写真」展図録、横浜美術館、発行:求龍堂、2017年参照。