DECADE; Operation Table/QMAC
会期:2021年5月2日(日)~6月13日(日)
会場:Operation Table
会期中は予約してからご来場ください。email: info@operarion-table.com, tel: 090-7384-8169
Operation Tableが令和3年4月で開設から10周年を迎えた記念展第1弾。2011年4月に「Hommage 高倉健ー手術台の上の花とドラゴン」でオープンし、今年3月までに30の企画展を催してきました。それらの展覧会出品作のうち、QMACコレクションに加わった作品や、出品作家の関連作品を展示し、展覧会の記録写真やパフォーマンスの記録動画、そして展覧会のために作られた映像作品などもまとめて再生し紹介します。
出品作家
青木野枝 O JUN 草野貴世 久保田弘成 佐々木愛 白川智子 白川昌生 澤登恭子 祐成勝枝 祐成政徳
鈴木淳 世良京子 鷹野隆大 武内貴子 田中朝子 中野真典 中野良寿 濱田富貴 南椌椌 村田峰紀 山福朱実 山本糾 横溝美由紀 吉田のり子
「KUMA BRUT」からの4人(藤岡祐機 原三保子 本田明菜 山品聡美)
映像作品と記録動画;大木裕之 友清ちさと 松野真知
QMACコレクションから;オーギカナエ 牛島光太郎 牛島智子 碓井ゆい 田中奈津子 田中伸枝 中島真里
難波瑞穂 松井智惠 松本詩津 三津木晶
会期中イベント
5月15日(土) 14:00~
白川昌生 アーティスト・トーク「ダダ、ダダ、ダと駆け抜けてきた」
参加費;500円 (予約のみの参加となります)
5月29日(土) 14:00〜
山福朱実+末森樹 「歌とギターと朗読の午後」
参加費;1,000円(予約のみの参加となります)
白川昌生
「ダダ、ダダ、ダと駆け抜けてきた」
ひさしぶりに北九州へ行き、オペレーション・テーブルで話をしてきた。
今回は、まず現在、デュッセルドルフで行われている展覧会、個展について、数枚の画像も見せながら話した。
この展覧会は、去年の秋に突然一つのメールが送られてきたことからはじまった。ドイツのデュッセルドルフに住んでいるフリーランス・キュレーターの三上ともこさんから、私の個展を行いたいという申し出がきた。かつてデュッセルドルフで活動し、日本へ帰国した私が、群馬に住んで以来どういう作品を作っているのかをデュッセルドルフで見せたいということなのだ。デュッセルドルフ市内に作られた画廊で、デュッセルドルフとつながりのある日本人作家の個展を行うという企画を、三上さんがはじめており、その第一回目を私の作品でやるのだ。私のあとはクボタシゲコさん(ナムジュン・パイクの夫人でもあり、N.Y.フルクサスのメンバーであった作家)などをとりあげていく予定だそうである。
今回はコロナのためにわたしはドイツへ行くことはできなくなり、作品だけを送り、三上さんの方で展示してもらう、そして時にネットで状況を配信したり、画像を出したりという、いわばオン・ライン展覧会の形をとって見せることになった。
出品作品は「わたしはわすれない」「想像の力」のノボリが二点で、今回は日本語のノボリをドイツ語にしたものも作って提示している。また群馬県朝鮮人強制連行追悼碑についての作品、「木馬祭り」の動画、「無人駅での行為ーやきそばを食べる」の写真、コロナ禍についての新作絵画二点を出すことになった。三上さんの方で、私の著作本やカタログなど資料もそろえ、さらに私へのインタヴューの動画を会場で流すこともしていただいた。1979年に私がヨーゼフ・ボイスへインタヴューを行ったときのことなども、その中で少し話をしている。ノボリの方は、私がノボリをつけて前橋の商店街を走る写真に興味をもったレバークーゼンのクンストフェラインの関係者が、同じことをデュッセルドルフでもやりたいと言って、自転車にノボリをとりつけ、街中を走る動画が画廊から配信されていた。
次は7月17日から埼玉県の原爆の図丸木美術館での個展に出す作品の画像を見せながら解説をしていった。丸木美術館での展覧会は本当は去年やる予定であったが、コロナで一年延期にしたので、今年の7月に行うことになった。三年前に学芸員の岡村さんと話し合い、戦争について考えることを個展のテーマに決めた。私は90年代から、太平洋戦争につながる作品をいくつか作っていたので、今回はそれらを出すことにし、また新作を歴史修正主義に関わる作品とすることを決めていた。なぜ修正主義なのか ー それは、丸木美術館には南京、沖縄戦の絵があるが、それらの事実を否定しているのが修正主義者であり、彼らのような人物が政治家、官僚、文科省役人、実業家、宗教家等々として存在し、歴史教育、教科書、教育基本法などに介入してきている事実があるから、とりあげる必要性を感じたのである。彼らは悲惨で非人道的な戦争を美化し、自己正当化して歴史を歪めて理解し、それを社会通念としてしまおうとしているからであり、それは過去の歴史事実を直視しない、誤った歴史観を持つことだと私は思う。おそらくこういう作品は、丸木美術館以外では展示が許されないと思うが、丸木美術館だからこそ展示できる作品にしたいと思って、今回新作を制作した。オペレーション・テーブルではこれらの作品のごく簡単な画像をサラリと見せておいた。展示する他の作品の画像もいくつか見てもらった。
このあと、会場を明るくして、地域とアートのことなどを話していった。その中でも場所の記憶と表現の関係など、かなり突っ込んだ話ができたと思う。
青木野枝
真武さんに初めて会ったのは1987年だから、もう30年以上前になる。
彼女が北九州市立美術館学芸員の時だ。
遠賀川近くの団地に泊まらせてもらって、美味しいごはんを食べさせてもらった。
川にまつわる話や八幡の町の話を聞いた。
北九州の歴史が彼女の中に濃く流れていて、石炭と鉄の町で育ったことがものすごく羨ましかった。
学芸員を続けるか悩んでいた頃、オランダの海辺で突然大風が吹いて、思いっきり飛ばされて転んで、そのままスーッと滑って、それでやっぱり続けようと思ったのだ、と言っていた。
若林奮さんが「さすが真武さんです。」とコメントしていたのを覚えている。
その10年くらい後に、青森国際芸術センター学芸員の真武さんに会った。
地元の人たちと仲良しで、市場や手仕事や雑貨や美味しいものにすごく詳しかった。
そして九州で乗っていた車(屋根に窓がある派手な緑色)を、北の街でも乗り回していた。
青森の人としても全然生きていけそうだった。
それから北九州に帰ってきて、オペレーションテーブルを開いた。
その最初の宿泊者がラッキーな私だ。
どこからかほのかに香ってくる動物の匂いと、手術用の無影灯を見上げて眠るベッド。
夜な夜な現れる人々。(生きてます)
真武さんの作る美味しいごはん。
トマト味噌汁のように、初めて食べる未知の味は新鮮だった。
真武家の兄妹もOPTを応援してくれた。
マッシーというお兄さんは、夕ごはんを食べながら、明日のOPT開所式でどう挨拶するか、お箸をマイクに見立てて、首を回しながら何度も何度も練習していた。
あれから10年。
不思議でアナーキーで、世界に対して開いているんだけれど、媚びていなくて、しっかり核がある。
そんなスペース。
それは、オーナーそのものでもある。
この土地に OPT があることで、どれだけの活気と繋がりが生まれただろう。
もしも自分の住む町にOPTがあったら、人生がもっともっと楽しくなっただろう。
遠く離れていても、北九州の東鉄町に真武さんと このスペースが存在することは、私をものすごく励ましてくれる。
そこに行けば、アートに対して親身になってくれる人が存在するから。
それは彫刻をつくっている私だけでなく、さまざまな人たちを繋ぎ合わせてくれる大切な場所なのだ。