8月23日まで会期延長した「根石院と爆薬姐」もあと1週間の公開となりました。
展覧会にはおいでいただけませんでしたが工藤健志さん(青森県立美術館学芸員)に、展覧会資料や未公開のパフォーマンス・ビデオをご覧いただき展評を寄せていただきました。工藤さんといえば「美少女の美術史」「ロボットと美術」など多様な視点からアート/サブ・カルチャーのジャンル横断企画を手がけてきた学芸員。このエッセイでは性差多様性始原説を打ち出し一刀両断を決めてくださいました。溜飲下がる想いでありました。
「東アジア文化都市2020北九州」のプロジェクトに応募した動画「根石院と爆薬姐」が、YOUTUBE東アジア文化都市2020北九州のチャンネルに上がっています。ぜひご一覧ください。出演は根石院・久保田弘成と爆薬姐こと鈴山キナコ。クボタさんが設置のとき来れなかったので、北九州在住のデザイナー/アーティスト、ナカムラタツヤさんに会場設営をおねがいしました。撮影編集は福岡の映像作家、福田康紀さん。
8/23-25 上演パフォーマンス「彼女の既婚者によって着衣にされた花嫁、さえも (旅がらす)」
根石と昆虫化身オブジェが並ぶギャラリーが怪しい赤い光に照らされた小劇場に変貌した3日間、根石院こと久保田弘成(手術台廻し)、爆薬姐こと鈴山キナコ(歌・舞踏)、服部こうじ(ギター)による「彼女の既婚者によって着衣にされた花嫁、さえも (旅がらす)」が連日上演されました。これまで車や漁船を廻す大掛かりなパフォーマンスを実現してきたオトコクボタが、ここOperation Tableでは半裸の美女が横たわる手術台を廻し、あるいは根石のように不動直立、ギターを奏でるリズムが激しくなって来ると打楽器のようにギターの表面を敲いてリズムをさらに高揚させる服部、服部のギターが三味線調の演歌からフラメンコ、さらにブルースへと調子を変えていくに連れキナコの動きも変容します。久保田が回転させる手術台の上に横たわったまま歌い続けるキナコの歌声が、ときどきDJが回転数変えたかのように変調するので、アレ?演出か?とおもっていましたら、なんと手術台の回転が早すぎて目がまわり吐きそう!だったとか。各回20分の短いパフォーマンスでしたが、ギター1本で多彩な音を奏出する鬼才・服部こうじと、回転機械おまかせの根石院・久保田に、桁外れの起爆力を演出する鈴山キナコ、3名の熱演のほどは見事なものでした。この記録動画(撮影・編集;福田康紀)は鈴山キナコ、プロデュースにより近日有料配信となる予定です。
今回の展覧会のためにアーティストグッズが完成し、会場にて販売していますが、展覧会終了後はshopにて購入申込できます。
「根石院と爆薬姐」展の会期は8月23日(日)まで延長します。
展覧会のお知らせ
根石院と爆薬姐
2020.5.31 SUN - 8.23 SUN 11:00-18:00
6月18日まで;ホームページのみ公開、6月19日(金)〜7月2日(木)は完全予約制
7月3日から最終日まで;金土日オープン、月〜木は要予約
この予定は新型コロナウィルス感染状況により変更が生じることもあります。
(Tel; 090-7384-8169 e-mail; info@opertion-table.com)
参加アーティスト;久保田弘成+鈴山キナコ
助成;公益財団法人朝日新聞文化財団
車や漁船を廻すパフォーマンスで知られてきた久保田弘成は2018年以来、男根の形態を思わせる自然石を求めて山野や河川・海岸を歩きながら石を採集し、石には手を加えないまま台座を作って彫刻作品と成す「根石院」シリーズを発表。一方、爆薬姐こと鈴山キナコは北九州出身、22歳でスカウトにより上京、SM女優や小説家や演歌歌手など数奇なキャリアを展開したあと、32年ぶりに北九州へ再移住、クレイ・アーティストとして、サブカルチャーの世界ではブームを牽引するカリスマとなり活躍している。このたび、手術台における偶然の出会いによって、この2名のアーティストの共演がOperation Tableにて実現することとなった。
《作家コメント》
※どの画像もクリックすると拡大して見られます
《久保田弘成 根石院とドローイング》
《鈴山キナコ クレイオブジェ・昆虫人形》
ゴキブリ ヤママユガール カマキュリ タマムスメ カブトムッシュ
🔶タイトルの付いた作品5点は本展覧会のために制作したもので未発表です
《手術室における根石院と爆薬姐の思いがけない以上の出会い》
《会期中イベント》
7月5日(日) 鈴山キナコ ワークショップ「粘土でアマビエ作ろう!」 | ![]() |
7月12日(日) 映画「無能の人」上映会
原作:つげ義春 監督・主演:竹中直人
14:00-15:30 観覧無料
自然の中にある石を集めて作品とする久保田弘成を彷彿とさせるつげ義春の原作は「無能の人」「石を売る」「鳥師」「探石行」「カメラを売る」「蒸発」からなるつげの自伝的要素もあると言われる漫画作品。驚くべきことに今回の展覧会のもうひとりの作家、鈴山キナコの実家は「小鳥屋」を営んでいて、出品作にもその幼少時の記憶をもとにした昆虫のイメージをオブジェにしたものが多い。この奇妙な符号を記念して「映画「無能の人」を上映します。
7月19日(日) 映画「TOKYO!」上映会
原作ガブリエル・ベル、監督ミシェル・ゴンドリーの「インテリア・デザイン」、監督・脚本レオス・カラックスの「メルド」、監督・脚本ボン・ジュノ「の「シェイキング東京」3部からなる2008年オムニバス映画。第61回カンヌ映画祭に出品されている。この映画作品には、背中に真っ黒の長方形入墨をした男が登場する。久保田弘成の背中の入墨そのものとも言われ、映画製作当時パリに滞在していた久保田の入墨をカラックスが眼にしていた可能性もあるといういわくつきの映画である。
7月23日-25日(木・金祝休と土) 3日間連続で久保田弘成・鈴山キナコによるライブ・パフォーマンス、アーティスト・トークセッションを行います。詳細は計画中。
《作家略歴》
久保田弘成
1974年 長野県諏訪郡生まれ。武蔵野美術大学大学院美術専攻 彫刻コース修了。車や漁船を用いた彫刻やインスタレーション、パフォーマンスを発表。武蔵野美術大学パリ賞、財団法人ポーラ美術振興財団助成金、文化庁新進芸術家留学制度により、フランス、ドイツにて活動し、ヨーロッパ各地、アメリカ、メキシコ、中国で制作発表を行う。帰国後、大阪、福岡、熊本などで滞在制作。2010年には「街じゅうアート in 北九州 2010」に参加、北九州市で滞在制作し船を廻すパフォーマンスを発表、それに続いて、天草、糸島、筑豊など熊本・福岡の各地で地域の展覧会に参加した。その他、個展開催、グループ展参加等多数。現在、東京在住。
鈴山キナコ
1962年 福岡県北九州市生まれ。北九州デザイナー学院グラフィックデザイン科卒業。文学の世界で多数の著作を持つ作家・末永直海のサブネームとして、ポップカルチャーのクレイアート本17冊を発表。著作は小学校の教科書にも指定されている。主に女子高校生を中心に流行した、粘土製のお菓子を小物などに盛る(デコる)スイーツデコブームの牽引者として活躍。渋谷109前のモニュメント制作など、コマーシャルアートも多数手がける。 2016〜北九州市にUターン。
男と女、その両性がもたらす多様性
工藤健志(青森県立美術館学芸員)
まるで昭和のアングラ演劇を連想させるようなタイトル。久保田弘成と鈴山キナコという異色のカップリングによる二人展であるが、久保田はファルス的シンボルのような自然石を自らの立体作品でもある「根立」という台座で屹立させた「根石」を、鈴山は昆虫をモチーフにしたデコラティブなクレイオブジェを並べる。象徴的な男と女の造形が並置されるその展示からは、ジェンダーフリーが声高に叫ばれる現代という時代に逆行するかのような性差の強調を感じとる人も多いかも知れない。しかし、手術台や医療器具の棚など動物病院時代の記憶がそのまま残る展示空間によって、単純な「男らしさ」と「女らしさ」の対比に止まらない、両者の作品の実験的交わりの印象が強化される。そこから我々は何を読み取るべきだろうか。
久保田弘成は車や漁船などを回転させる大掛かりなインスタレーションで知られるが、レシプロエンジンにおけるピストン運動をクランクシャフトで変換し、巨大な構造物を回転運動させるその様は、ダイナミックであると同時にどこかエロティックなイメージを含んでいる。視覚のフィジカルな官能性を刺激しつつ、男性的な欲望の運動を暗示させるこれら作品は、ピストン運動から生み出さるエネルギーを非生産的に消費していく「独身者の機械」でもある。肥大化した妄想から生み出されたかのような危うさを持つその爆発的なエネルギーは、人間存在の本質的な孤独を映すもののようにも思えてくる。久保田がことさらに「男」という点を強調するのも、ジェンダーロールというより、むしろロールプレイングと解釈すべきだろう。今回展示されている「根石」とドローイングの多くからも男性性が強く感知させられるが、その自然石の見立ては男根を直接的に連想させるものだけでなく、生命の根源を示唆するような有機的量塊性を持つものもみられる。
一方、鈴山キナコが得意とする動物のクレイオブジェはいわゆる「アニマルデコ」と称されるもので、現代日本の「かわいい文化」の中で欠かすことのできない表現形式と言える。ファンシー、ネオテニー、ミニチュアといった特徴を持つそれらは、いわゆる社会構築物としての「女性性」に深く根差している。鈴山は小説家末永直海のアーティストネームであり、文学作品では自伝的要素を踏まえ、女性的な視点によって物語を描き出していくものが多く、生得性と社会性という両側面から女性という存在を客体化し、現代人の「心性」を浮かび上がらせていく。今回の展示の中心となる新作の「昆虫人形」も艶かしい「雌」の作品が多く見受けられるが、対する「雄」であっても(例えば《カブトムッシュ》など)、やはり「女性性」を用いて造形されていることが理解できよう。
モチーフに過剰な要素を加えて「かわいい」という感性を刺激すること、それは古来より工芸等で用いられてきた日本の伝統的手法であり、「たおやめぶり」な女性文化力に基づくものと言える。これら「昆虫人形」は実家の小鳥屋で夏に売っていたカブトムシやクワガタをめぐる幼少期の記憶をもとにしたもので、愛らしい動物をより愛らしく表現する「アニマルデコ」とはやや趣を変え、コロナ禍の影響もあるのか、かわいらしい表層の奥に生々しい生と死の気配が漂うものとなっている。まさに「現代的」でありながら、「本質的」でもあるのだ。まるで導祖神のような久保田の「根石」もまた歴史的に連綿と続く日本の自然崇拝のありようや共同体意識を探る営みのようにも捉えられるが、鈴山の「昆虫人形」との「出会い」をとおし、相互の本質的要素が共鳴することで、その男性性にひそむ「性」の複雑さや多様性が明らかにされていく(当然のことながら「勃起」の現象もまた男性固有のものではない)。まさにOperation Tableのミッションである「異種の出会いの衝撃」を具現化した展示であり、「爆発姐」とは鈴山自身の爆発(表現)であると同時に、そのオブジェが起爆装置として作用し、「根石」から様々な思考が引き出されていくことの謂でもあるのだろう。
会期中に開催されたライブパフォーマンスのタイトル「彼女の既婚者によって着衣にされた花嫁、さえも (旅がらす)」は、むろんデュシャンの《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも (大ガラス) 》(1915〜23年)からの引用である。服部こうじのギターにあわせ、手術台の上や周囲で歌い、踊る鈴山と、そこに絡んだり、傍で屹立する久保田。展示のコンセプトをそのままパフォーマンスへと落とし込んだものであった。
そもそもデュシャンの作品の上部には「花嫁」が、下部には「独身者たち」が表されているが、両者の間には深い断絶があり、永遠に交わることはない、と解釈されるのが一般的である。ミッシェル・カルージュに倣えば、煙のような形の「銀河」は「昆虫の抜け殻」であり、独身者の群れは「独身者の機械」である(『独身者の機械―未来のイヴ、さえも』、1954年)。これはそのまま、死の予感を孕む「昆虫人形」と、屹立する「根石」の組み合わせへと置き換えられるだろう。しかしである。「独身者」が「既婚者」へ、「裸にされた花嫁」が「着衣にされた花嫁」へと正反対に変換されているように、ここでは両者の真の出会い、そして結合の可能性が模索されているのだ。近代から現代へと時代は移り、機械に対するイメージも大きく変化……機械文明は前向きに捉えられるようになってきた。このパフォーマンスは過去の価値を現代の価値として蘇生させていく儀式とも捉えることができよう。
生物学にみれば、有性生殖は単為生殖に比べて遺伝子に新しい構造を生じさせる可能性を秘めている。幾多の感染症を遺伝子の多様化で乗り越えてきた人類の歴史を踏まえれば、コロナ禍の今だからこそいったんジェンダーの出発点に立ち返り、それぞれの役割や機能を改めて問い直してしていくことも必要なのではなかろうか。そう、男と女の差異こそが多様性の原点なのだから。そして「出会い」が意外であればあるほど思考と解釈のバリエーション、すなわち多様性は拡張されていく。―混迷の時代を生き延びるためのきっかけが我々に与えられたとせよ―、本展の意義はまさしくこの点にあるように思う。