KUMA BRUT 会期中のイベントをご案内します。
Operation Table 外壁にもう1点、作品が加わりました。
展覧会
KUMA BRUT ! 熊本からのアール・ブリュット
誰に教わったわけでもない。熊本が育んだ魂の表現
2019年11月16日(土)〜12月8日(日) 11:00~18:00 入場無料
金・土・日オープン、月〜木は要予約 (Tel;090-7384-8169, e-mail info@operation-table.com)
出品作家:松本寛庸、藤岡祐機、荒木聖憲、荒川琢磨、内野貴信、駒田幸之介、原三保子、曲梶智恵美、松下高徳、山品聡美
Operation table 805-0027 北九州市八幡東区東鉄町8−18 http://www.operation-table.com
協力:アール・ブリュット・パートナーズ熊本
北九州市文化振興基金奨励事業
障害のある人々の芸術支援活動を行う団体、 アール・ブリュット・パートナーズ熊本主催で今年も10月に熊本県立美術館で開催された「生の芸術 アール・ブリュット展 vol.5」から一部を紹介します。最年少10歳を含む作家たちは、障害者支援施設に入所したり、自宅から支援センターに通ったり、また支援学校に通っている小学生もいます。自閉症や知的障害をかかえながら 、美術作品の制作に喜びを見出している作家10名の創意に溢れた作品です。
イメージの拠りどころも独自ながら、作品を編み出す手法にも、既存の美術表現には見られない固有の発見があって、驚きを覚えずにはいられないでしょう。
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《会期中のイベント》
11月16日(土) 14:00~16:30 映像でアールブリュットを紹介 会費無料
「ETV特集 人知れず表現し続ける者たち」(2017)
「アール・ブリュットが生まれるところ」(監督・撮影・編集; 代島治彦)
企画・制作 特定非営利活動法人はれたりくもったり 2015) 2本ともに本展出品作家の松本寛庸、藤岡祐機が出演。
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11月17日(日) 15:00~16:30 末森樹☓山福朱実 LIVE ギターと歌の演奏
会費2,000円(ドリンク付、終了後レセプション+500円)
会場で上映しているアニメーションの音楽に、末森樹さんのアルバム「葡萄」からの曲を使わせていただきました。末森さんは、障がい者の自立生活を追ったドキュメンタリー映画『風は生きよという』『道草』の音楽も担当しています。
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12月7日(土) 15:00~16:30 櫛野展正 トーク「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」
参加費2,000円 終了後レセプション(+500円)
櫛野展正さんは福山市 クシノテラス主宰、アウトサイダー・アートの展覧会企画や著作活動で知られています。
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【図版キャプション】[1] 記録映像「人知れず表現し続ける者たち」タイトル
[2] 映画「アール・ブリュットが生まれるところ」から藤岡祐機のシーン
[3] 「人知れず表現し続ける者たち」から松本寛庸作品
[4] 「アール・ブリュットが生まれるところ」から松本寛庸制作シーン
[5] 末森樹✕山福朱実
[6] 末森樹「葡萄」 ジャケット原画は山福朱実
[7] 同「葡萄」裏面
[8] 「アウトサイドジャパン」展を企画した櫛野展正
[9] 櫛野展正著「アウトサイド・ジャパン」(イースト・プレス刊 2018)
手術室で出会う「アール・ブリュット」
長尾萌佳(行橋市増田美術館 学芸員)
11月の終わり、バンドネオン奏者の大久保かおりと末森樹、山福朱実のライブに合わせて、おずおずとこの展覧会「KUMA BRUT! 熊本からのアール・ブリュット」を観に行った。会期が始まるだいぶ以前に真武さんからこの展覧会の話を聞いたとき、私は、実はこの分野の展覧会に対して苦手意識があるのだと話した。数年前、美術館で開かれたアール・ブリュットの展覧会を観て、複雑な感情を抱いたままそれを消化しきれずにいたのだ。
とはいえ、今回はともかく行ってみることにした。バンドネオンの生演奏もはじめての経験で、その日はちょっとした冒険だった。
開演の少し前に入口を入ると、見慣れたギャラリー空間にところせましと並ぶ作品の熱量に圧倒された。水色の壁にタイルの床、手術台や薬棚があってすりガラスの窓から光がさす。ギャラリーとしては独特な雰囲気を持つ空間なのだが、この熱量の高い作品の数々はこの場所に妙にしっくりきているように思えた。
入口で待ち受けるのは曲梶智恵美の《誕生》。大きな画面は、びっしりと描かれた色とりどりの逆さまのU字によって下から上へと明るくなっていく。その画面を埋めるように赤や黄や紺色の編まれた毛糸が重ねられている。毛糸は下地のU字と呼応するように、まるで噴き出すマグマのようにリズミカルに配されている。下地のグラデーションと毛糸の重なりが加わり重層的な画面が生み出されている。このたった一枚だけでもエネルギーを吸い取られるほどの密度である。
反対側の壁には最年少の荒川琢磨のとても愉快な作品が並び、展示室には太い木の枝に地が見えなくなるほど釘を打ち込んだ松下高徳の作品や、細かな点や線から潜水艦や天体の美しいイメージを描き出す松本寛庸の作品などが並ぶ。
山品聡美の《県名・人名》は、白い紙に「青森」「北海道」「前原」など県名や人名が1枚に1種類ずつ繰り返し書き連ねられたものだ。なぜ青森なのか、前原とは誰なのか。気になることはいろいろあるのだが、書かれた文字を見ていると見慣れた漢字がゲシュタルト崩壊を起こしはじめ、次第に文字が指す意味内容より文字そのものを構成する線やそれらの繰り返しから生まれる模様のような画面が気になってしょうがなくなる。
荒木聖憲のちぎり絵は、山下清を思わせる。じっさい彼は山下清に憧れて制作をはじめたというが、表現の志向が異なるようにも感じられる。極端に強調された遠近法や躍動感のある人物や動物たちによってまるで絵本の1ページのような物語性に満ちた一場面となっている。《天草湯島の猫》では画面の中央に魚をくわえた猫が大きく描かれ、背景にはそれを微笑みながら眺める漁師の姿が描かれている。猫の毛や漁師が持つかごの中のウニは、紙を丸めたこよりを使って表現されている。もう一点の作品《玉名大俵まつり》では、こよりをさらにより合わせたり編んだりした部分まで見られる。細部を見るほどに、驚嘆する以上に制作過程の高揚感や喜びが感じ取れる。山下清が、様々な色の紙の点描によって自然の微妙な色彩や陰影を捉えていたのに対して、荒木の作品はより触覚的な経験を喚起させるようだ。
こうした作品のなかでもとりわけ目を引いたのがガラスケースの中に入った小さな紙片。はじめは糸の束か羽毛かと思った。数ミリにも満たない細さで何十本も切りこみを入れられ、切られた部分がくるくるとらせんを描き柔らかい毛の束のようなになっている。息をのむほど繊細でただ単純に美しい。これは藤岡祐機の作品だ。藤岡自身に「作品」としてこの形態を創り出そうという意図はおそらく無く、むしろハサミで切る行為そのものが重要なのだろう。その行為は日々の営みであり、言葉を使わない彼ならではの表現行為の痕跡だ。この繊細で美しい見た目の紙片に凝縮された彼の時間は私が生きてきた時間軸と同じでありながら、世界が全く異なるように知覚されているのではないかと思えた。
決して世界を同じように感じ取り、語ることができないという意味での「他者」である彼らの世界にわずかに触れることができたように思う。
ライブの中で演奏者の大久保が、バンドネオンは内に混沌を抱えこんだ楽器だと言っていた。誰しもが心や体のどこかに合理的でないものを抱えている。数年前に訪れた展覧会の違和感は、アール・ブリュットの作品を、純粋な作品鑑賞のための場として整えられたホワイトキューブで見ることに、矛盾があったことが原因の一つだったかもしれない。混沌を包み込む空間、あるいはそれ自体が混沌であるオペレーションテーブルだからこそ、個々の表現が作品として生き、また、見る者はまっすぐとそれらに向き合うことができたのではないか。