兵庫県立美術館学芸員の出原均さんに「桃園オペラ」の展評をいただきました。ご覧ください。
QMAC 企画展第10弾
祐成政徳+祐成勝枝
桃園オペラ momo-zono opera
2015.01.04 Sun.-03.15 Sun
11:00-18:00 土日のみオープン
平日は予約制:090 7348 8169
オープニング・レセプション@Operation Table
2015.01.04 sun 18:00-
参加費:¥1,000.
祐成政徳と祐成勝枝は、どちらも北九州市出身のアーティスト・カップルです。
祐成政徳は「国際鉄鋼彫刻シンポジウム TAYAHATA '87」や「5th北九州ビエンナーレー繰り返しと連続性の美学」に参加、また勝枝は北九州市内でもいくたびか個展を開いたことが知られています。その他、国内外のグループ展に出品し、空間の特質を個性的な視点からとらえたインスタレーションを展開する政徳、一方、勝枝は抽象形態だが植物や風景などの光溢れる豊かな自然との関連を感じとれる絵画を発表し続け、90年代初頭のかねこあーとG1を皮切りに、ギャラリー五辻、アートフロントギャラリーでの個展、そして公共空間での壁画も手がけてきました。
このようにスタジオでの制作や生活の場を共有しながら、作品発表の機会はそれぞれ別にしてきた二人のアーティストが同じ展覧会に並んで参加することはまれでした。唯一といってもよいのがOperation Tableのオープン記念展「Homage 高倉健ー手術台の上の端とドラゴン」です。政徳から送られてきた、連続する空間のつながりをイメージさせる小さな真鍮のオブジェ「BRIDGE」は、ドラゴンの背中にも見えるもの、また勝枝は花畑のようにも見えるが小さな家が立ち並ぶ区画を木で造ったオブジェ「GARDEN」を出品しました。
そのオープンから4年目に入った今年、Operation Tableを舞台にこの2名のアーティストの共演が実現することになりました。
「桃園オペラ」は、八幡東区桃園町に生れた勝枝が、かつて個展のタイトルに冠した「Peach Garden」、また政徳が時折作品タイトルにつかう「OPERA」(ラテン語で「作品」の意)というふたつの語を合成したものです。今回は「桃園」を 政徳が、また「オペラ」のタイトルを勝枝がもちいて、それぞれアイデアを交換し、Operation Tableを舞台に2名で合作の「桃園オペラ」を組み立てます。
1+1=? 出原 均 [兵庫県立美術館学芸員] 祐成政徳・祐成勝枝のカップルの作品は、近年、それぞれの個展などで見る機会があったが、二人の展覧会ははたしてどのようなものになるのだろうか。期待に胸を膨らませながら、でも、とくになにもイメージを働かせないようにして、白紙の状態でオペレーション・テーブルに向かった。初体験となるオペレーション・テーブルに対してもあらかじめ詳しい情報を手に入れることなどせず、DMの地図とアクセス・データだけを頼りに出かけた。勿論、自分が億劫な性格というのもあるが、出合頭で接する楽しみを味わうことを求めたからである。 玄関ですでに始まっていた二人の作品展示に導かれて、オペレーション・テーブルの部屋に入った。壁に展示されているのが勝枝の紙作品、玄関から続いている彫刻が政徳の作品である。 手術台が三つ並ぶ元動物病院の部屋は、病院嫌いの私(病院には大いにお世話になっている身ながら)にはそれだけで少々息苦しく感じられた。ふたつある窓のひとつは板で塞がれ、もうひとつはブラインドが下ろされている。こうして閉じられた部屋の3面に紙作品が並ぶ。各面3点から5点の展示で、基調となる色や表現、配置も面ごとに多少変えている。正方形、縦長のいずれかである画面は、曲線を主とした形態からなり、その色彩も明快である。全体に平面性が強く、切り絵のような造形の遊びもあり、軽やかであって押しつけがましさがない。抽象度の高いものもあるが、概ね植物や風景を髣髴させる。だから、絵画は窓だというアルベルティの言葉が自然と思い出された。その窓の向こうにあるのは、身近な自然かもしれないが、もしかすると、桃源のような場所であるかもしれない。なによりも、閉じられた空間だからこそ、開かれた窓としての絵画があるのだ。世界の反転、芸術の逆接のことを思った。 一方、彫刻は、鉄棒によるフレームからなっている。現場で鉄棒を溶断、溶接して制作したインスタレーションである。この彫刻と紙作品とはいくつかの点で対照的である。後者の豊かな色彩に対し、前者の素材色である単色性。後者の曲線、前者の直線。後者がどちらかといえば小品であるのに対し、前者は部屋いっぱいの大きさである。通常、空間を占有する立体作品は平面作品を圧迫しがちで、両者を共存させるのにしばしば困難を伴うのだが、今回、その問題はシンプルかつ知的に回避させていたといえよう。紙作品を見ているときは、鉄の棒は鉄の棒でしかないから、ほとんど気になることはない。しかし、一旦それを彫刻と見なすならば、鉄の棒が作り出す、部屋の内部に迫る空間の大きさを感じとることになる。その際、紙作品はほとんど意識されない。視線を変えるだけで、両者は共存することができるのだ。ここにも反転と逆接がある。ついでにいえば、玄関から通路に続く導入部では、その鉄の棒のフレームは面を形成するだけだった。移動によって、線が面になり、さらに量塊に変わる面白さがある。 あとでこの体験を振り返ってみたが、たぶん、彫刻の逆接が、絵画の逆接を後押ししていたように思う。鉄の棒が空間を満たし、紙作品は外に広がるのだ。相乗効果といえよう。だから、これは1+1=2ではない。3にも4にもなっている。この点は、二人展を企画した者のお手柄である。もちろん、それに応えた二人の力はいうまでもないが。 なお、メインの作品のほかに、政徳による小さな彫刻もいくつか玄関の棚に展示されていた。主作品に通じるものもあれば、そうでないものもある。さりげない配置で、自由に味わう楽しみがあった。このほかに勝枝の小彫刻も展示されていた。いかにも彼女らしいカラフルな家々が並ぶ彫刻は、その世界が紙作品に通じるとともに、政徳のジャンルへのささやかな参入でもある。これら小彫刻にも相乗効果を認めうるかもしれない。 反転と相乗。いずれも芸術ならばこそ可能ではないか。そう思うと、心が躍る。またどこかで二人展の第2章を見たいと思った。 |